TOP » 南島製菓の歴史
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那覇市松尾に1935(昭和10)年創業、79年の歴史を誇る「南島製菓」がある。老舗菓子店だけにお盆や法事等の行事には「南島製菓の菓子でなければ」とこだわりを持つお客様も多くいらっしゃいます。
テント小屋から大きくした時の店舗(本店)=那覇市牧志1丁目(現在の那覇市松尾2丁目・浮島通り)1940年代
創業者は、那覇市首里出身の故・
11歳下の弟を小学校に通わせるため、自身は小学校を卒業後、「東町のさちまの菓子屋」で菓子修行をして弟の学費を工面した。
戦時中は大阪へ疎開し、戦後沖縄へ戻ると、まもなくしてアメリカの輸入菓子を扱う。後に2代目を継ぐ弟の故・村吉政吉(享年84)が、当時、軍でコックをしており、そこから小麦粉を仕入れ、菓子作りを再開する。 その時の菓子は、「こんぺん」「白まんじゅう」「花ぼうろ」の3種だった。
創業者の村吉政能
28歳当時=1939(昭和14)年
本店前=1956(昭和31)年頃
当初、店はテント小屋だったが、戦後2年程して糸満で密貿易をしていた人から材料を大量に仕入れることができ、店を大きくしていく。 国際通り(現在の南西ホテル横)と前島に支店を出し、職人は全員住み込みでお手伝いさんもいた。
「南島製菓」と言うと知らない人はいないくらいになり、従業員は「南島製菓」で働いていることが誇りであり、自慢だった。
現在の建物の落成式=1966年(昭和41年)12月5日
本店で働く政能の妻・オト
=1969(昭和44)年頃
菓子原料の配送も行っており、配送車はクラウンだった。
=1963(昭和38)年頃
「尊敬していた親父さん」
高校卒業後10代で南島製菓に入って、22歳のころに東京へ洋菓子の勉強に行きました。24歳で帰沖し、和菓子専門だった南島製菓で、洋菓子部門を 担当するようになりました。レモンケーキは、勉強に行った東京で当時流行り始めていて、店から送金してもらい、型を2枚買って帰ったのが、 沖縄にレモンケーキを持ち込んだ始まりだったと思います。
ウェディングケーキを制作する
新垣良文さん
新垣さんが担当して作っていた洋菓子。陳列棚にはバタークリームケーキが並んでいた=1965年頃
1966年から2013年まで40数年使っていた電気釜
創業者の村吉政能社長のことは、親しみを込めて「親父さん」と呼んでいました。親父さんは、作業(菓子作り)が非常に早く、
しかも丁寧でした。その技は沖縄一だったのではと思います。
当時は菓子材料の配送業務もしていたので、あちこちのお店の作業場を見る機会があり、
やはり親父さんの手の早さはピカ一だと非常に尊敬していました。努力家で、菓子に書く字も達筆。何をしても抜きん出ていましたね。
南島製菓で働いていたことは自慢で、僕の財産になっています。
「こんぺん」(沖縄の方言で、くんぴん。と、言います)
伝統菓子本来の作り方を継承してきたごま風味が上品な「こんぺん」
琉球王朝時代(1429年~1879年)に、外交や御客様へ、おもてなしの高級菓子として伝わるお菓子です。
創業より変わらず、煎り白ごまと県産黒糖を使用した焼き菓子です。
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